きょうと福祉倶楽部様の、ニュースレターに
記事を書かせていただきました

kさんを偲んで
先日きょうと福祉倶楽部の利用者様で、私も鍼灸師として関わらせていただいていたKさんがお亡くなりになりました。福祉倶楽部でサービスを受けられてから10年、その中の6年を訪問施術させていただきました。
Kさんは、当時の主治医の先生から「(認知症があり)一人暮らしは難しい。施設か妹さんの家で暮らしてほしい。ただし、金銭的に施設は選択できない。」と伝えられていました。そのため、妹さんの家で生活されていたのですが、何度連れ帰っても、亡くなられたご主人と住んでいた自宅へ戻ってしまう状態が続いていました。本人は自宅で暮らしたい、しかし病気や環境がそうさせてくれないという課題がありました。そうした中、福祉倶楽部のケアマネージャー・スタッフさん達はKさんの思いに寄り添おうと、様々な知恵を出し合い、主治医・訪問看護師・成年後見人などの方々との連携を深めながら、ようやく独り暮らしの体制が整っていきました。支援体制が整い始めると、Kさんの厳しかった表情にも変化が見られ、次第に笑顔が戻ってきました。
私はその経緯を聞いたとき少し驚きました。理由は私が施術に伺う様になったのが、Kさんのサービス開始4年後からになるのですが、Kさんの表情が曇るという場面を経験していなかったからです。もちろん痛みがあるという事で訪問施術をさせていただいていたので、痛い体勢や動作でははっきりと痛みの表情をされますが、生活の充実度からくる表情というか本当にいつも楽しそうにされていた印象があります。
訪問させていただく際は、笑顔で出迎えていただき、帰る際には「また来てね」とおっしゃってくださいました。訪問施術を開始した頃はまだ座ったり、支えを掴んで立ち上がったりは何とか出来ていたので、筋緊張の緩和を目的とした鍼や温灸に加えて、日常動作のリハビリを行いました。動かしにくい中Kさんは必死で頑張られました。それでも時折おどけたような仕草で、こちらへの気遣いを見せてくださいました。病による制限はあったにせよ、人生においてはやはり先輩なんだと、自然と感じました。いつまでもそうした部分を維持して頂きたいと施術していました。
そんな中年月が過ぎていきます。ここ1年ほどは施術中はこちらの話がなかなか通じないことも多く、認知症の進行を感じる場面もありました。食べられる量も少しずつ減っていました。昨年の夏に入院されてからは関節拘縮がきつくなりました。それでも、呼吸補助や不安感の軽減を目的に、自律神経のバランスを整えるよう背部への施術をしたり、やさしく声をかけていると、ふと表情が和らぐ瞬間があり、「ああ、今、届いたのかもしれない」と感じることもありました。
Kさんは、ご自身の身体に痛みや不自由があっても、「人に迷惑をかけたくない」と気丈に振る舞われていたと思います。その姿は私にとって、鍼灸師という仕事がただ痛みを和らげるだけでなく、その人の「暮らし」や「尊厳」に深く関わっているということを教えてくれるものでした。
今振り返ると、Kさんの生活は、今後の高齢化社会における支援のあり方に大切な示唆を与えていると感じます。
Kさんの穏やかな笑顔「また来てね」の言葉を胸に、これからも一人ひとりの人生に寄り添う施術者でありたいと、改めて心に刻みました。
日和堂はり灸院 中 雅哉